11月3,4日は、私の入っている生協が企画した「福島スタディー」の旅へ参加しました。
2012年、2013年と東日本大震災の実態がどのようなものだったのか自分の目で確かめるために宮城県、岩手県、青森県を辿る旅をしてきました。ただ一つ残っていた福島へ行きたいと思いながら、原発事故による被害は深刻でその機会がありませんでした。
この旅は、いわきのひと駅前の湯元から始まりました。駅前はイベントでずいぶんとにぎわっておりました。
今回は、いわき市の湯本温泉の旅館「古滝屋」さんの16代目であり、特定営利活動法人「ふよう土2100」の代表でもある里見さんにガイドをお願いして、福島県の広野町、楢葉町、富岡町まで主にバスの中から見学しました。
大きなニュースとしてマスコミから知らされることはなくなっていますが、まだまだ深刻な問題が山積みの福島です。メモをしながら聞いていないので正確な情報として伝えることはできませんが、いくつか記憶に残っていることを書いてみようと思います。
まず、いわき市のお隣の広野町へ入ると海の傍に2本の煙突。一体何の煙突か質問されました。思っていた通り、東京電力の火力発電所でした。また新しい火力発電所を作っているのだと聞き、なぜ再生可能エネルギーでの発電に切り替えないのかやっていることのちぐはぐさに驚きました。すぐそばに巨額を投じて東電が作ったJヴィレッジの看板が見えます。天然芝のサッカーグランドが11面もとれる立派な施設。原発の爆発以降はここが後始末の拠点になったと聞いています。
富岡町に入ってくると、放射性物質の付着したごみの処分工場が見えだしました。看板を見ると、どういう企業の出資かわかると思いますが、戦争のための兵器製造にかかわっている企業がなぜという違和感がありましたが、どちらも人の命を大事なしないという点では同じだなと思い返しました。
隣には、大きな白い倉庫があります。ここには燃やしたものをなるべく小さい容量にして貯蔵してあるのだと聞きました。小さくしても濃度(8万ベクレル?)がものすごくとても中の物をどこかへ運び出せないだろうとガイドの方が話しておられました。
新しくできた「富岡町」の駅です。
空間線量の表示です。首都圏辺りから見ると少し高いですが、驚くほどではありません。後で分かることですが、土地のようすや地上からの高さに寄ってずいぶんと変わってきます。
時刻表です。
東京方面からくる場合は、ここが終点。あとは、代行バスのみ。
駅前には、ビジネスホテル、近辺には新しい家やアパートなどができてちょっとした建築ラッシュのようです。今までいわきから働きに来ていた原発関連の仕事に携わっていた人も富岡町に住んだ方が仕事場に近いということらしいです。原発の後始末に関わっている労働者は、6千人ほどいるのだと聞きました。
次に下車したところは、小さな公園でした。跡形もなくなったパトカーの残骸が置かれています。
2,011年の3月11日、住民に避難を呼びかけている最中にパトカーごと津波にさらわれ中に乗っていた二人の警官がなくなったそうです。パトカーのこの姿を見ると津波の威力に唖然とします。お一人の遺体は、1か月後に30キロ沖合で見つかりましたが、もう一人の方は、未だに行方不明だそうです。今でもたくさんの方が忘れないでいるということがわかります。
この公園近くの線量計の数字です。富岡駅よりずいぶんと高くなっています。
夜ノ森駅近くの桜並木です。春には美しいピンクの花のトンネルになる桜の名所だそうです。この辺りは、帰還困難地域のすぐそばでもあるため人の気配を感じられません。
右奥に見えるのが「夜ノ森駅」です。富岡町の次の駅ですが、線路の向こう側は、帰還困難地域になっていているところなので、駅は開設されていません。左側の道路脇に移動して線量計を置いてみました。
空間線量ではなく、足元の草の上に置いてみたところです。驚きました。桁数が二ケタも違うのです。地上1m位のところとずいぶんと差があります。小さな子供は、大人より当然背が低いわけで高い線量にさらされるということがよくわかります。
自分の目で確かめるというのはすごく大事なことだと改めて感じました。この日廻った場所の中で一番高かったのがこの夜ノ森あたり、当然帰還困難地域になるはずです。
バスの窓からなので、よくわからないでしょうが、阿武隈山地に向かって何本もの高圧電線が鉄塔を伝って登って行くのが見えています。たしか目の前の林に隠れたところに広大な変電所があると聞いた気がします。
この電線の束を伝って電気が流れて行く先は、そのほとんどが首都圏だということにもっと想像力を働かせなければいけないなと改めて感じた次第です。今も福島では、帰りたくても帰れない人たちがたくさんいます。住宅手当も切られ苦しい生活を強いられているのに、首都圏に住む人たちは、もう何事もなかったように電気を使っています。夜遅くまで赤々と明かりがともる都会にいる私たちがやらなければならないことがなんであるか、もっと考えてみたいと思いました。
古滝屋さんに頂いた「福島新報」という地元の新聞の記事の一部です。最後にこの新聞記事を見て福島の震災は現在進行形なんだということに気づいてもらえればと思います。関連死の数字が毎日変わっていくし、行方不明の方もまだ大勢いらっしゃいます。
次回に続く。