初夏の浜中町の旅 その2

1日目、うちを4時半に出発。横浜はまだ梅雨の最中、朝から雨。雨のことにばかり気になって、肝心の日よけの帽子を忘れてしまったことに途中で気づく。横浜で東海道線に乗り換え、時間的には余裕で東京駅に到着。

 

列車は、密にならないように3人席の端に席を取ったが、新幹線の中では、3人席には結局私一人だった。雨も上がり、出足は上々。ところが青函トンネルの海底部分を無事に抜けもう少しでトンネル終了というところで信号トラブル。接続時間もあまりないのに大丈夫かと心配になるが、10分くらいでトラブルが解消し、無事「新函館北斗駅」に到着。青函トンネルを通ったのは、初めてでなんだかドキドキした。

f:id:yporcini:20210701142821j:plain

次は、南千歳まで在来特急「北斗」に乗った。前もって調べておいた南千歳のホームで売っているというお弁当を買ってみた。3つ残っていた内一番人気だという「しおざい弁当」だ。左から鮭の燻製寿し、間に挟まれているのは、つぶ貝のから揚げ、真ん中が塩鮭の焼き物といくら、右がホッキガイの炊き込みご飯の上にホッキガイと豪華版。値段も1350円。釧路では買っている暇がなかったので、これが夕飯も兼ねていた。

f:id:yporcini:20210701144809j:plain

 南千歳からは在来特急「おおぞら」で釧路へ向かう。北海道の在来特急の形は、みんなこんな感じで、先頭の列車名は、電光を使って表わされている。タンチョウが翼を広げたり、つぼめたり、ちょとした動きが入っている。因みに北斗は、北斗七星の星が七つ表わされていた。線路の脇には白樺の木が植えられていて北海道へ来たのだなと一人悦に入る。

 

途中、苫小牧と帯広に停車。苫小牧は、製紙工場がある町、帯広はこの辺りの中心の街やはり駅前には、銀行やホテルなどの建物も多い。特急なのであちこちは停まらないが、大きな街以外は山や森、それに広々とした畑が広がっている。湿原近くの小さな川に「タンチョウ」の姿を2回ほど見た。

 

f:id:yporcini:20210705153716j:plain

在来線の列車の座席にチケットを挟み込むところがあるのも北海道ならでは。ほかの列車ではまだ見たことがなく、珍しいと思った。けれど、ここに挟んで忘れて下りる人がいるらしく、車内放送でチケットをお忘れなくとの注意が必ずある。それと、下りる方は、時間がわずかしかないので、下りる用意をしてドアのところで待っているようにとのご注意も必ずある。本当にすぐ発車するのでびっくりだ。

 

辺りは薄暗くなり、もうすぐ釧路というところで何かにぶつかったような音がして、列車は急停車。車内放送が入り、線路に侵入したエゾシカとぶつかったので、点検しているとのこと。釧路での乗り換え時間は、15分ほどしかない。あわてて通りかかった車掌さんに「花咲線には接続大丈夫ですか?」と思わず聞いてしまった。「大丈夫ですよ。」との返事でほっとした。ダメだったら、釧路で下車してホテルを探さないとならないのだから。

 

後から思えば、運転手さんがずっと警笛音を鳴らしていたのは、エゾシカに「そこどいて、危ないよ。」の合図だったのだなとわかった。敢えて窓の外は見ないようにしたが、朝夕は特に多いらしく乗務員も慌てたりせず、粛々と点検整備をしている感じがした。

 

釧路では、根室行きの普通電車が待っていてくれたようで、無事乗り継ぎができた。たった1両の電車に高校生がいっぱい乗っていて、お菓子やおにぎりなど盛んに食べては、大きな声でしゃべっている。都会ではとても考えられない光景だ。

 

辺りは真っ暗になり、周りのようすはよくわからない。午後8時40分ごろようやく私のゴール駅「浜中駅」に到着。2度の列車トラブルも無事乗り越え、うちを出てから16時間。民宿のお迎えの車も来てくれていたので、9時ごろ宿に到着。

北海道はやっぱりひろ~い。

(つづく)

初夏の浜中町の旅 その1

 今週の初めようやく新しいデジカメで写した写真をパソコン上に取りこめるようになりました。視力が落ちて細かい字の説明を読むのが億劫で半年以上放っていましたが、今日からそろそろとブログに載せようと思います。

 

 毎日蒸し暑い日が続くので、何とか涼しい時を思い出そうと7月の初めに4泊5日で行った北海道厚岸郡浜中町を思い出してみたいと思います。

 タンチョウヅル(宿の前の湿原に来ていました)f:id:yporcini:20210705060919j:plain

 北海道に詳しい人ならそこがどのあたりにあるのかわかると思いますが、普通の人は「浜中ってどこにあるの?」と言うことと思います。釧路と根室のちょうど真ん中辺りにあります。

 観光地として有名なのが、街の外れにある「霧多布岬(きりたっぷみさき)」でしょうか。ボランティアで通っているところに私と同じように一人でふらふらと旅をするのが好きな人がいて、その人が、「なんにもないところだよ。」と言って教えてくれたのがこの浜中町なんです。

 

 何にもないというところに魅かれたのですが、本当に何にもないのかと行く前に調べたところ、広大な湿原があり、「エゾ・・・・」などという北海道特有の植物や動物たちも生息し、それに日本ではすごく稀なラッコの棲み処もあるという私には宝の山のようなところだということがわかりました。興味がない人にとっては、何にもないところかもしれませんが、それだけ手つかずの自然が残っているところなんです。

 

 北海道には、高校の修学旅行で青函連絡船に乗って行ったのが初めての旅。あとは飛行機で釧路へ飛んだ経験しかありません。

 

 ちょうどこの時期。JR東日本では、カード会員向けにずいぶんとお得なプランを設定してくれていて、東北・北海道フリープラン(乗車券、指定券6枚分付き)5日間26620円というのがあるのです。今まで東北の旅には使ったことがありますが、北海道は遠いので乗り鉄でもなければきっとつまらない旅しかできないだろうと使ったことがありませんでした。

 

 6月下旬ラジオを聞いていたら、「霧多布湿原は今ワタスゲが花盛り」という季節のお便りが紹介されました。その光景に背中を押され、とうとう旅への準備が始まりました。

 

 まず民宿探し。一応2回のコロナワクチン接種は終えていたのですが、首都圏から行く旅行者を泊めてくれるのか心配でした。「いつでもどうぞ。」と言ってくださったので、まず宿はOK.次に東京駅発6時半の新幹線で出発してその日のうちに目的地まで到着できるのか駅探を使って調べました。浜中駅には、夜の8時半ごろ到着できることがわかりました。

 

 下調べを終えて、パスカードと新幹線、それに北海道在来線特急の指定券を購入し、準備は終了。

 山へ行くのと同じように荷物は、リュックです。ローカットのトレッキングシューズとサーモンピンクのレインウエアーを新しく購入して意気揚々と出発です。

 向こうは、朝の気温が12度、昼間も17度くらいで、今思うと本当に天国のようなところでした。

 次へ続く。

ビオッツアのバスク料理

 イカスミご飯

f:id:yporcini:20201016125524j:plain

 これも秋のこと。

 コロナ禍でなかなか会えずにいた友人が11月初めに横浜へ遊びに来ることになってい

た。昼は定番の中華街でと思っていたが、その頃の私はバスク料理に恋い焦がれ状 

態だったので、友人の承諾を得てこのバスク料理のレストランでランチをにすることに

したのだ。

 

 会食のひと月ほど前に、下見をと思ってお店で1人ランチをした。

 サラダとメインとデザートとコーヒーで1700円(税込み1870円)。この日の

メインにはイカスミご飯を選んだ。

 その日はお客さんも少なかったので、カウンターに座ってオーナーシェフと店の名前

の由来や、バスク料理の調味料の特徴などいろいろ聞くことができた。

 

 「ビオッツア」というのは、バスクの方の言葉で「心」という意味があるそうだ。心

を籠めて料理をするという意味なのだろう。

 バスクは、イベリア半島の北の付け根にあたるとことろで背後にピレネー山脈、北に

ビスケー湾、フランスと国境を接している。南の方のカタロニアと同じようにバスク

族の独自の言葉や文化を持っている。

 

 

 地域性からも海の幸、山の幸と食材も豊富だという。特にサン・セバスチャンは、リ

ゾートの街でミシュランの星を持った世界的に有名なレストランがたくさんあることで

も知られている。フランスのリヨンと似た感じかもしれない。(行ったことはないが、

横浜のリヨンのレストランは知っている)

 

 シェフにピメントといわれる唐辛子がバスクの料理にはよく使われているという情報

も教えてもらえた。唐辛子は世界中いろんな種類のものがあって興味深い。

 因みにシェフは、バスクの観光の中心都市、サン・セバスチャンで修行をしてきたそ

うだ。

 

 そして、11月初め。友人が来る頃にフェイスブックワタリガニのパエジャ」

上がっていたので、勝手に一人盛り上がってランチメニューははこれに決めた。(予約

が必要なので)

 

f:id:yporcini:20201105125248j:plain

 はじめに飲み物を注文する。アルコール類は二人ともやめて、ぶどうジュースを頼

む。次に出てくるのは、ピンチョス」。テーブルチャージのようだ。日本でいえばお

通しに近いかも。

 この日のピンチョスは、スペインオムレツ、オリーブとピクルスとアンチョビ、パン

の上に白身魚のテリーヌマヨネーズ添え? だいぶ前のことで詳しいことは忘れてしま

った。

 ピンチョスは、バスクへ行けばお店ごとにいろんな工夫がされていてこれだけでも食

べに行きたいと思わせる。

 

f:id:yporcini:20201105131601j:plain 
 

 メインは、その「パエジャ」、普段パエリアと呼ばれているもののようだが、中に入

れるものや鍋の違いでいろんな呼び方があるそうだ。これは、ワタリガニと野菜を入れ

込んだもので、カニのエキスがしみ込んだお米を楽しむ料理。カニの足や胴体を手に取

ってしゃぶりつくので、上品には食べられない。上に乗っているのは、お飾り。

f:id:yporcini:20201105130517j:plain

 2つ目の料理は、白インゲン豆と自家製のチョリソーの煮込み(名前は?)。これも

私の好みで決めた。豆の煮込みは本当にとろっとしていてソーセージからコクの

あるスープが出ていて、見た目よりずっと美味しい。

 

f:id:yporcini:20201105140611j:plain 
 最後は、デザート。定番は、バスクチーズケーキ。濃厚なチーズを使っているのでこ

れだけでもずっしりとくる。

 近頃は、バスキーと呼ばれコンビニでも置いてある人気デザートのようだが、ここの

はもちろん店で焼いた手作りだ。本当はこの倍の大きさだが、半分にしてもらった。

 

 

 バスク料理のお店は横浜では、ここだけ。

 今は、4人用のイス席が3卓とカウンター席のみ、検温もアルコール消毒もしてコロ

ナ対策は万全のお店である。

 コロナ禍で人と食事ができない中、降って湧いたようなバスクレストランで量が多く

て一人では食べられないパエジャを友人と一緒に食べられて、本当によかった。

 コロナ禍での小さな幸せその2である。

コロナ禍のおかげ

 この話も昨年の秋のこと。

 シネマリンの映画を観るためにはバスに乗って往復する。

 映画を観終わるとまたバスに乗って帰るのだが、9月のある日映画を観終わった私

は、バス停近くの「ビオッツア」という店の前でランチ弁当を販売しているところを目  

にしてしまった。しまったというのにはわけがある。

 以前からスペインかイタリアのバールのような雰囲気のお店でどんな料理が食べられ

るのか興味はあったものの、アルコールを口にしない私には一人で入る勇気もなく敷居

が高かったからだ。

 早速近寄ってみると、弁当は2種類あって、値段も800円。透明なプラスチックの

ふたを通して中が見え、味付けなどの情報も聞いて選ぶことができるのだ。

 渡りに舟、すぐにそのランチ弁当を買って帰ったのは言うまでもない。

 

 

 ある日のランチ弁当は、魚介類の入ったイカスミ炊き込みご飯。

添え物は、鶏のから揚げとパプリカとブロッコリー

 魚介から出ているスープをしっかりと吸っていて、とっても美味しかった。

f:id:yporcini:20201026132924j:plain

 

 またある日のランチ弁当は、豚の三枚肉とジャガイモの煮込み、レンズマメと野菜の

煮込みとパンのセット。ボリュウミーでお腹がいっぱいになる。

f:id:yporcini:20201030130209j:plain

 

 またある日のランチ弁当は、肉団子とうずら豆のトマト煮込みとジャガイモとキュウ

リとピーマンとリンゴの入ったサラダにフランスパン。何回か食べると豆が多く使  

われているのがわかってきた。

f:id:yporcini:20200907134140j:plain

 

 このお弁当のおかげで、バスク料理に近づけたのはコロナ禍のちょっとした幸せだっ

たかなと思っている。

 

 

「きこえなかったあの日」

f:id:yporcini:20210319204511p:plain

 先週の日曜日に、シネマリンで「きこえなかったあの日」を観てきた。

 8日から上映していたのだが、14日にはこの映画の監督をされた「今村彩子」さん

が映画への思いを語ってくださるトークがあるというので日曜日に行ったのだが、会場

はほぼ埋まっていた。

 緊急事態宣言が出ている最中なので、映画館も座席が1つおきになっているため、

通常の半分、50人ほどの定員だが、朝10時からの映画にしてはその期待度が大きか

ったのだと思われる。

 

 今村監督さんは、ろう者である。

 監督さんは、「耳の聞こえない人たちが置かれている状況を知ってほしい」という思

いから東日本大震災直後に宮城県を訪れたそうだ。ろう者の被害者の数は聞こえている

人の2倍だそうである。

 

 映画の中に出てきた男性は、一人暮らし。道を歩いていた時にちょうど通りかかった

人に車に乗せてもらって津波に飲み込まれずに避難所まで連れて行ってもらえたそうだ。

 何も聞えなくて何が起こっているのかわからなかったと言っていた。

 避難所でもマイクで情報が流されていてもわからず、人が並び始めたのでそれを見て

付いて行くことで初めておにぎりがもらえることがわかったりするのだそうだ。

 

 脚が不自由な人、目が見えない人・・・・外見で配慮できることが可能な人もいる

が、ろう者は一見助けを必要としている人とは思えないことが多いと思う。

 ちょうど、この男性が住んでいる町の役所には毎週水曜日に耳が聞こえない人のため

に手話通訳者がいたため、日常の困りごとを聞いてもらえることができたが、

こういう人はすごく幸運だったのかもしれないなと映画を観ながら思ったものだ。

 避難所での表示の工夫、日常的な交流など課題はたくさんある。

 

 東北大震災を契機に2013年に鳥取県で全国初の手話言語条例が成立し、現在29

道府県にて制定されているという。この映画を撮った宮城県ではあと一歩で条例が制定

されると聞いた。

 

 東北の大震災以外の熊本地震西日本豪雨の際も現地に入り耳が聞こえない人が置か

れている状況を取材しカメラに収めている。

 耳が聞こえない人は、守られる立場の人だと思い込んでいたが、西日本豪雨の被災地

では、耳の聞こえない人のためのボランティアセンターを立ち上げ、たくさんの体が元

気な方々が通ってきていることも知って、それぞれができるところで助け合うことの素

晴らしさをこの映画で教えてもらった。

 

 昨日も宮城県沖を震源とした大きな地震があったが、地震の揺れは感知できるが津波

危険情報というのはきっとわからなかったはずである。私もテレビがないので、パソコ

ンでニュースの画面で見ていたが、果たして耳が聞こえない方々が情報を知りえたか心

配になった。

 手話通訳の人は気象庁の会見のようなセットされたものには付いているが、地域でサ

イレンが鳴らされ防災無線で呼びかけられた情報には何のことかきっとわからなかった

はずである。

 

 今まで何本か震災関連のドキュメンタリーを観てきたが、今まで気が付けなかった新

しい視点を突きつけられた気がした。

 監督さんは昨日もどこかへ飛んで行っているのではないだろうか。

晩秋の宮城5(気仙沼から一関)

 民宿2日目になってご主人との会話も弾むようになったと思ったら、翌日はもう帰ることとなりました。夕食の最後に「明日の朝、用事で気仙沼へ出るので、よかったら車で送りますよ。」と声をかけてくださいました。予定より少々早い気もしましたが、バスも1時間に1本ですので、ありがたく乗せてもらうことにしました。

 

 内湾(ないわん)地区は、気仙沼湾の一番奥で昔は、風待ちの港だったところです。橋ができる前には向かいの大島へのフェリーや観光船の発着の港だったところですが、橋が架かったのですっかり様相が変わりました。

 

 私は、2012年にここへ来ているので津波ですべて流され何にもない港を知っています。近くの空き地にできていたプレハブの屋台村で買ったふかひれマンを港のベンチで一人食べた思い出があります。おこぼれをもらおうとやってきたのはカモメでした。

 2013年にも気仙沼へやってきましたが、その時は気仙沼駅の一つ先の「唐桑鹿折」という駅まで行って、この内湾から大きな船が津波で打ち上げられたまま畑の真ん中に置き去りにされているのも見ました。津波の想像を絶する力を感じ取るには十分でした。

  3.11から十年経ったといいますが、ついこの前のことのような気がします。

 

 買い物があるからと、駅まで行かずにその港付近で下ろしてもらいました。北側の小高い山のようすが以前とは違うことに気付きました。右側の山の上ははげ山になっていて、白い塔のようなものが立っています。

 車を降りる時に、「今度来た時は、復興祈念公園にも足を運んでください。」と言われました。あれは震災の慰霊の塔だったようです。山の上に登れば、気仙沼湾のすべてが見渡せて、怖かったことも悲しかったこともすべてが映し出されるのだろうな思います。

 

 先日のニュースで、3月11日が公園開園日だったと聞きましたので、次回訪れた時には登ってみようと思います。

f:id:yporcini:20201111091044j:plain   f:id:yporcini:20201111091248j:plain

 

 湾を挟んで反対側に赤い小さな浮見堂が見えます。行ったことがないので、ここからはネットの記事を読んでわかったことです。

 赤い浮見堂の途中に大きな恵比寿様が立っているそうです。ちょうど船で隠れていて見えませんが、その恵比寿様は、3代目なんだそうです。

 2代目の恵比寿様は、津波で流されて10年近く行方不明だったのです。長い間探したのにとうとう見つからないので、寄付を募って3代目を作ったのだそうですが、去年の秋、偶然浮見堂のおひざ元でその2代目が見つかったのだそうです。流されて遠くへ行ってしまったと思いこんでいたのでしょうね。(灯台下暗しという言葉を思い浮かべました。)

 2代目は、きれいにされてちょっと上の境内に建てられたので、今は、鯛を抱えた2代目の恵比寿さまとかつおを抱えた3代目の恵比寿様を見ることができるそうです。漁業の街らしい恵比寿様の立派なお姿を見るのも次回の楽しみです。

 

f:id:yporcini:20201111091147j:plain

 港には盛り土をして高くしたところに横に長いこじゃれた建物が2つ並んでいます。

 左側は、「創(ウマレル)」ラジオ局だとか、公共施設の入った建物で、右側がカフェとかレストランなどが入った商業施設「迎(ムカエル)」。19年から開業しているので、2年前気仙沼へ来たときには、ふかひれマンではなく、ムカエルのアンカーコーヒーでメカジキのカレーを食べコーヒーを頂いたことも思い出しました。 

 今は、この場所も「ピア」と英語読みの港になっていますが、まだ工事が続いていてすっきりと完成には至っていませんでした。

f:id:yporcini:20201111091423j:plain  f:id:yporcini:20201111091442j:plain

 

 気仙沼を11時ごろ出て、大船渡線で一関へ向かいました。

 以前東北新幹線からの乗り換えの時に、駅構内にお餅料理のポスターが張ってあるのを見つけていました。お昼は一関でそのお餅を食べようと心に決めていましたが初めての下車でしたので、観光案内所を訪ねました。

 5分くらい歩いたところにそのお餅が食べられるところがあるというので勇んで参りました。「三彩館ふじせい」というお店です。

 写真は、「元祖ひと口もち膳」。(1500円税別)

納豆、くるみ、じゅうね、ずんだ、あんこ、ごま、えびに、しょうが、だいこんおろし、それにお椀の雑煮が付いています。それぞれの小鉢に小さなお餅が一つずつ入り、お雑煮には2つ入っているので、食べきれるか心配でしたが、結構ペロッと食べてしまいました。

 手間を考えると自分でこれだけの材料を用意するのはとっても大変なことです。こうしていろんな味が一時に楽しめるのは本当に嬉しいことです。

 しめは、やっぱり食べ物というのも私らしい!

 f:id:yporcini:20201111124002j:plain

 これで「晩秋の宮城」は終わりです。続けて目を通してくださった方、ありがとうございました。

 (今日は、書きながら2012年、2013年、2018年、2019年など東北旅行のブログを読み返し、振り返りました。)

 

 

 

晩秋の宮城4

 巨釜半造を周遊して元のバス道まで戻ってきました。

 

 唐桑半島にはオルレコースとみちのく潮風トレイルの二つのコースがあります。

 オルレコースは、一番先端の御﨑までバスを使いビジターセンターの辺りをスタート地点にして巨釜半造まで戻ってくる約10キロのコースで、人家の多いバス道を主に歩くルート。

 みちのくトレイルのコースは、半島の中央に位置する唐桑総合支所を起点とし、一番東寄りの海岸に沿った道を御﨑まで下り、帰りはバス道から半島西寄りの海岸線を北上し、唐桑総合支所まで戻るコースとなっています。歩いていないのでわかりませんが、ほぼ倍の約20キロコース。

 

 今回の私が歩むコースは、中途半端で巨釜半造から東寄りの海岸線を下り、帰りは御﨑からバスに乗って民宿のある高石浜まで戻るというものでした。

 

 はじめは、バス道に沿ってリンゴ畑やこの地域独特の「唐桑御殿」と呼ばれる黒光りのする瓦屋根の豪壮な民家を眺めながら歩きました。

 この地域の生業のほとんどが漁業です。昔は、主にマグロを取るために遠くの海まで出かけて行く漁師さんが多く、何か月も帰ってこれないので留守の間も家族をしっかり守りたいという気持ちでこの御殿のような家を作ったそうです。

 今とは違って 遠洋に出かけると収入も多かったと聞きましたので、この地域の「唐桑御殿」は漁師のステイタスだったと思います。漁に出かけている間は、畳一畳もないような狭い場所で寝起きしていたのですから、帰ってきた時に広い座敷で手足を伸ばしてゆっくりとくつろぐことが漁師の夢だったのかもしれません。

 私が歩いたところにもこのタイプの家が多かったのですが、まだ歩いていない西海岸にはたくさんの立派な御殿があるそうです。

 ただ震災の時には、瓦が落ちてきて危険だということで、震災後は重々しい昔の瓦ではなく軽量素材の瓦を使う家も増えてきた聞きました。

f:id:yporcini:20201110113255j:plain  f:id:yporcini:20201110160047j:plain

 リンゴ畑               唐桑御殿

 

 どこから東の海岸線の道に入ったらいいのかわからず、人に聞きながら道を探してようやくその道らしい広い道に出ました。歩いている人はいないし、車も通らないのです。

 標識もないのでちょっと不安でしたが小高い山道を登って海の方へ入ると今度はやぶの中をずんずん下ってようやく海が見えるところにやってきました。やぶの中を通る時はいつも大丈夫だろうかとドキドキしますが、この日も湿った地面を通過する時はやはりドキドキしました。抜けた時に見える海の青さはひとしおです。深く切れ込んだ入り江にはたくさんの赤とんぼが群舞していました。

f:id:yporcini:20201110121948j:plain

 風もなく暖かかったのでこの木に座ろうかと思ったら、先客がいました。アカトンボが10匹以上日向ぼっこをしていたのです。晩秋のつかの間の出会いの場だったのでしょう。

 この道を歩いて「神の倉の津波石」を見てその巨大な姿を写し撮りたいと思っていたのですが、見つかりませんでした。途中一か所だけ海岸の工事をしていて入れないところがあったので、聞いてみればよかったと後悔しました。

 津波で海の底から引き揚げられたという石です。津波の持つ想像もつかないエネルギーが形として残されているのです。

 

f:id:yporcini:20201110133147j:plain

  そうこうしているうちに御﨑まで到着です。この赤い鳥居のようなものがオルレのスタート地点です。本当は、ビジターセンターに入りたかったのですが、ちょうど休日で願いは叶いませんでした。

f:id:yporcini:20201110134222j:plain f:id:yporcini:20201110134334j:plain

 「御﨑神社」です。自然を相手にしている漁業が盛んな地域なので、神社の数はたくさんあるらしいですが、この「御﨑神社」は、歴史も古くこの地域の多くの人の信仰を集めている神社です。

 

 

f:id:yporcini:20201110135007j:plain

 御﨑をぐるっと回れるハイキングコースがあるのでめぐってみました。

f:id:yporcini:20201110135444j:plain  f:id:yporcini:20201110135728j:plain

 鯨塚と書いてあります。このあたりでもクジラ漁が盛んだったのでしょう。

 右は、御﨑の灯台です。今は無人灯台です。塗り替えたばかりのようで空の青と白のコントラストが美しかったです。

f:id:yporcini:20201110144459j:plain

  東側へ回ると大きな岩礁になっていました。千畳敷きと言われるくらい大きな岩が続いています。近くに「八叟曳(はっそうびき)」という説明板がありました。御﨑神社の祭神がこの千畳敷の岩に船をつけて上陸したといわれています。長さ50ⅿ、幅30ⅿもある岩です。

 これは一部分です。ここでこの岩をスケッチしていたので、やはり一時間もすると体が冷たくなってしまいました。

 

f:id:yporcini:20201110151345j:plain  f:id:yporcini:20201110151414j:plain

 陽沼(おぬま)           陰沼(ひぬま}

 さらに回るとなぜか色が違う水が溜まっているところがありました。陽沼の方がイザナギ、陰沼の方がイザナミが鎮座しているといわれています。沼と名前が付いているだけで実際は、海の水が流入しているのだそうです。隣り合わせに位置しているのに色が違うのが不思議でした。不思議なことは、神様のせいにしておけばいいのでしょう。

 

 御﨑漁港近くのバス停から帰途につきました。歩いた距離はおそらく12,3キロというところでしょうか。それでもなんとか10キロはクリアーできたことで、今度は西側を歩きたいなと思えました。脚にトラブルを抱えているので、とりあえず歩けたことで自信になりました。

 

 その日の宿の夕食です。

 一人のためにわざわざ気仙沼の市場へ行っていたら赤字だと思うくらい素材が豊富なので、「ご自分で獲ってくるのですか?」とお聞きしたら、「「巨釜・半造」の辺りまで出かけて獲ってきますよ。」とのこと。

 

f:id:yporcini:20201110181139j:plain

 この日、食べたいと思っていたものが出ました。

 いわゆる「ハーモニカ」と言われるものです。カジキマグロのひれのところにあるものでカジキの生から一つしか獲れない、まさに気仙沼でしかお目にかかれない貴重な部分です。これをダイコンといっしょに煮付けてありました。骨と骨の間の身はやわらかくふわっとしています。

f:id:yporcini:20201110181128j:plain

  後から揚げたてを持ってきてくれたものが、マグロの顎の骨の部分だそうです。あらかじめ味をつけておいたものに衣を付けて揚げたもの。まさに珍味。骨に着いた身は美味しいです。

f:id:yporcini:20201110182521j:plain

  新潟県村上市に行った時は、私たちがふだん食べないような鮭のいろんな部分をご馳走として出してくれましたが、昔から地方では、食べられるものは何であれ料理していただくという姿勢が貫かれているなということを今回も感じてどれもありがたく頂きました。

 (つづく)