スリランカの旅 その16 (コロンボ)

 旅行最終日、コロンボ

 コロンボロータスタワー

 バスの中から撮ったので、ぼやっとしていますが、スリランカの国の花スイレン

デザインしたものなので、一目でスリランカらしいなと思います。中国から資金を調達

し、2012年から建築が始まり2019年にできたものです。地上350mの無線通信やテレ

ビのアンテナの機能のほか、展望台やレストランなどの商業施設も備わった塔です。

 コロンボのラウンドマーク的な存在です。

 

 後ろに見えるのがワールドトレードセンター、手前の茶色の建物は、旧国会議事堂で

す。ロータスタワーができる前は、ワールドトレードセンターが一番高い建物だったそ

うです。

 

 旧国会議事堂 正面

 今の国会議事堂は、スリ・ジャヤワルダナプラ(現在の首都)にあり、カンダマラの

ホテルと同じジェフリー・バワの建築デザイン、自然を最大限生かした建物になってい

るそうです。

 

フォート地区の「カーギルス&ミラーズビル」 

 フォート地区がポルトガル、オランダ、イギリスの植民地だった頃建てられた建物が

この辺りに今でもたくさん残っています。このビルも、入口や窓にヤシの木の意匠が施

され、異国情緒が漂います。現在は、カーギルス本社とスーパーマーケット(デパート

ともいわれています)が入っているそうです。

 

 フォート地区からちょっと離れたところに「ペター地区」があります。

 衣料品、靴、カバン、菓子やパンなど種々雑多なものが細い路地にひしめいていまし

た。

 右のお菓子屋さんに並んでいる白いのは、冬瓜を使ったレモンの香りがする砂糖菓

子、冬瓜と聞いただけでちょっと親しみも湧きました。泊まったホテルのデザートにも

ありました。

 

  

 

 おもちゃ屋さんの人形は、色白でこの国のお人形らしくないので、人形って不思議だ

なと思いながらじっと見つめてしまいました。

 

 右の写真は、中に入れたものを葉っぱで巻いて売っているので、ガイドさんにお聞き

したところ口の中に入れてくちゃくちゃと噛むたばこのようなものだとのこと。

 以前、ブータンへ行ったときに、口を赤くして噛んでいた男性がいたことを思い出し

ました。きっと同じものに違いないという気がします。

  

 

ペタ地区の隣にバスターミナルがありました。

 

 左奥にあったポストです。ポストは赤が多いですね。ちょうどこのポストのところに

幼い女の子を連れた女性が物乞いをしていました。ほんの少し持っていたスリランカ

ピーを渡しました。海外に出るとこういう場面に出くわすとどうしたらいいのかいつも

迷います。

 

 フォート地区は、ホテルや政府機関など新しい建物が立ち並び、コロンボもやはり大

都会なんだなと思いましたが、隣接しているこのペタ地区のように買い物する人が触れ

合うようなところが大半の人の生活状況なのだろうと思いました。

 

 この国は、「タミル・イーラム解放のトラ」との争いがようやく終結したのが、20

06年頃だそうですが、2019年にも爆弾テロがあり本当の和平は遠いようです。

 

 国の再建はこれからという時に、この前まで大統領だったラジャバクサ大統領一族に

よる政権が中国の債務の罠にすっぽりとはまり込み、借金を返せなくて99年間の中国

の港の使用権を認めざるを得ない状況に陥ってしまっているというニュースは耳に新し

いのではないでしょうか。

 

 一番の外貨獲得の方法である観光がコロナ禍で滞ってしまったがゆえに、経済状況は

最悪で借金は返せない、必要な医薬品、ガソリンなど輸入品が買えない手に入らないな

ど、本当に大変な状況だということがわかりました。

 

 話は過去に戻りますが、1952年日本が敗戦国として連合軍の占領下から独立する1

年前、サンフランシスコ講和会議に出席したスリランカ(旧セイロン)のジャヤワルダ

ナ大統領が出席し、

「憎悪は憎悪によって止むことなく、愛によって止む。」という仏陀の言葉を引用し、

対日賠償請求権の放棄を明らかにするとともに日本の国際社会への復帰への道筋をつ

けたといわれています。

 

 この話をガイドさんから聞いて、スリランカ(セイロン)は、戦後の日本にとっての

恩人といってもいいのではないかと思った次第です。今経済危機にあるスリランカへの

援助を惜しまずやってもらいたいと思いました。

 

 バンダラナイケ空港で出発を待っているときに、黒い上下の背広姿の30人余りの青年

たちに出会いました。左の腕に技能実習生と書かれた黄色い腕章をつけています。

 日本人が話しかけると日本語で言葉が返ってきます。どういう実習に行くのかはわか

りませんが、日本の受け入れ先で温かく迎え入れてほしいと心から願わずにはいられま

せんでした。

 

 入管法が国会で話し合われている最中ですが、名古屋の入管施設で亡くなった「ウィ

シュマさん」がスリランカの人であったこともあり、とても心配になりました。

 毎朝、バスに乗るとドライバー助手さんが、かごに摘んできたばかりの花を一人一人

に渡してくれました。白いジャスミン、紫の蓮、ピンクのブーゲンビリア、そしてこの

花は「サル」(スリランカの言葉だと思う)。

 

 心温かいスリランカの人たちに感謝して機上の人となりました。

 

これでスリランカの旅は終わります。

長たらしい文章を読んでくださった方、ありがとうございました。