近藤医師の訃報を聞いて

鎌倉で手に入れたジンジャー 香りがとてもいい

 8月13日、近藤誠医師が亡くなられた。

 慶応病院の放射線科を受診した折、一度だけお会いしたことがある。

 

 昔々30年も前のことである。

 私が、以前住んでいた八王子で人間ドッグを受けた際、乳がんの検査もした。

 触診の後、念のため細胞診をやりましょうということだった。

 結果がわかるのは、十日後ということだった。

 

「まさか自分が乳がん!」 なんて考えたこともなかったので、

さっそくその日から乳がんの治療について書いてある本を集め自分でも調べ始めた。

 

 今から約30年も前の話なので、その頃は乳がんというと全摘と言って

乳房を全部摘出する手術が主流だった。

 全部取る方法では、直ったとしても夕方になるとリンパ液が腕に溜まるために

腕がパンパンになり、毎日の生活がとても大変になるらしいことがわかった。

 まだ子育て中であり、仕事を続けていかない限り生活が成り立たない。

 

 読んだ本の中には部分摘出という方法もあることが載っていた。

 日本ではまだ普及していない頃だったので国内のデータはなかったが、

ヨーロッパなど先進国でのデータが掲載されており、

5年生存率は大して変わらないということだった。

 

 私が八王子で診てもらった病院は、中堅の病院、もし細胞診の結果がクロと出たら

その病院では全摘されてしまうのではないかという恐れがあり、

部分摘出を進めている慶応病院の放射線科の近藤先生の診察を受けてみること

にした。

そのころから近藤先生は有名だった。

 

 病院の紹介状をもらっているわけではないので、その日の最後の診察だった。

 朝から出かけてお昼を回ってからだったが、診てもらえた。

 レントゲンにそれらしき影があるので、次にエコー検査を受けるよう言われた。

 エコー検査はとても混んでいて今日中に終われないので

青山にある個人病院を紹介され、タクシーで行って検査してもらった。

 エコー検査でもそれっぽい画像が写っていたらしく

結局かなりクロかなということで

レントゲン写真とエコーの画像を大きな封筒に入れてもらい

これを持って大船にある大船中央病院の胸部外科の先生のところで

診察を受けるように指示された。(今ならCDに取り込まれるか、直接送られるところだ

ろうが、何しろ昔のこと)

 

 大船中央病院での触診でもクロっぽいとのことで、

細胞診をすることになった。

 結果は、翌日に出るとのことで結果がそろうのを待つばかりになった。

 

 細胞診の結果は、シロだった。

 ただ、細胞診というのは必ずしも患部を刺していないこともあるから、

念のため生検をした方がいいというお勧めもあり

入院して手術体制で生検を受けた。(まだクロとの思いがあったようだ)

 患部を取り、細胞検査に回してもらい、晴れて癌ではないことがわかった。

というのが事の顛末。

 

 その時のことはさんざんしゃべったのでよく覚えている。

 大船中央病院の雨宮先生には、今でも1年に一辺検診に通ってご挨拶している。

 

 近藤先生は、癌の治療の方法で、必ずしも支持されていないという評判を聞いている

し、慶応病院では、ずっと講師待遇で権力とは無縁のままだったが、

私にとっては、先進的な考えの持ち主でずいぶん救われた。

 

 近藤先生は、雨宮先生と同い年、そして私も同じなので、

亡くなられたと聞いてなんだかとっても寂しい思いになった。

 ご冥福をお祈りしたい。

 

鎌倉「香菜軒寓」のランチ

 

 昨日は、朝からさわやかな空気に包まれていた。青い空には刷毛で梳いたような雲が

浮かび秋を思わせるようだった。今日を逃したらまたお墓参りへ行きそこなうと思っ

て、久しぶりに鎌倉へ出かけた。

 

 いつものようにちょっと回り道をして材木座「香菜軒寓」へ寄り、昼ご飯を食べる

ことにした。このお店は、母屋の前庭を利用して作られた台所とたった3席の小さな食

堂だ。

 

 コロナよりずっと前からテイクアウト推奨の店だったが、それにしても3席じ

ゃせっかく来てくれたお客さんに申し訳ないと考えたのか、廃材などを集め店主が小さ

な小屋を二つ作った。まるで隠家、子どもの遊び基地。一部屋に4,5人は入れそう

なので、これでお客さんは何倍にも増えたわけだ。

 

 このお店では、調味料も含め、ビーガン対応の食材を使う。海外からの観光客はもち

ろん鎌倉在住の人にも人気があるようで、よく外国の人と出会う。

 

 店主は、長く都内でカレー専門のお店をやってきた方。因みにお連れ合いは有機野菜

を主な食材とした定食を作られる。二人とも気さくな方で、調理法を聞くと丁寧に教え

て下さる。

 

 いつもここへ来てはカレーにしようか、定食にしようか迷う。昨日は、冷房が効いて

いる3席の食卓に先客がおひとりいらしたのだが、相席で構わないというので座らせて

もらった。朝食を食べないでヨガのレッスンを受けてここまで来ると午後一時過ぎ。

 お腹がすいていたので欲張ってカレーも定食もそれにデザートも付いたスペシャルを

注文。

 

画像

 写真が撮れなかったので、お店のツイッターから画像をいただいた。これが野菜だけ

定食、これにカツオとキャベツのカレーがついたものとプーリーというパンを食べた。

 食事だけでお腹いっぱいだったので、お茶のミントティーは飲んでデザートの梅の入

ったブラウニーは持ち帰りにしてもらった。

 

 相席の若い女性は、東京都内在住の就職して1年目だそうだ。夏休暇を近場での観光

にしようと前日に鎌倉へ来て材木座にある「亀時間」というゲストハウスに泊まられた

とのこと。

 郷里の長野市のことや二人とも行ったことがあるタイのチェンマイの話で盛り上がっ

た。ほんのわずかな時間だったけれど、おしゃべりできて楽しかった。

 

 

ムクウェゲ「女性にとって世界最悪の場所」で闘う医師

ポスター画像

 映画のことを書いたついでに6月の初めに名画座で見た映画を紹介したい。

 

 2018年にノーベル平和賞をもらった婦人科医「デニ・ムクウェゲ」を追ったドキ

ュメンタリーだ。ノーベル賞をもらった方なのに、恥ずかしいことに私の頭の中には刻

まれていなかった。 私が気になったのは、「女性にとって世界最悪の場所」というフ

レーズだった。

 

 場所は、コンゴ共和国東部。彼は、性暴力を受けて肉体的にも精神的にも傷ついて彼

の病院へ運ばれてきた女性を20年以上に渡り、無償で治療にあたってきたそうだ。

 

 なんでその地域が性暴力の温床の地になるのかが明かされる。

 この地域は、錫やレアメタルなどの鉱物資源が豊富な生産地なのである。

 その鉱物資源をめぐる利権争いをめぐって、常に争いが繰り返されている。

 

 利権を確保するために、その地域に住む人たちに組織的な性暴力を使って恐怖心を与

えるのが目的なため、中には内臓までも傷つけられるひどいけがをする女性もいるとい

う。

 

 その数は、年間2500人から3000人。治療しても治療しても後を絶たないこの

暴力を世界の人に知らせなければと彼は、あらゆる機会をとらえ講演を行い知らせてき

たそうだ。

 

 レアメタルは、今や誰もが持っているスマホに使われている。世界がレアメタルをめ

ぐって争奪戦を作り拡げているわけで、その利権は計り知れない。

 5Gだなんだと無邪気に新しい機種を買うときに、地球の反対側で罪のない女性がそ

の鉱物資源をめぐって生きることを脅かされていることに思いを巡らせることはあるだ

ろうか。

 

 いずれ資源も枯渇する。今あるものの再利用を真剣に考えていかなくてはいけない岐

路に立っているのだ。

 便利の裏側に隠れているもの、そこまで目を向けないと平和で安全な生活までも脅か

されていくことを改めて考えさせられる映画だった。

 

 ムクウェゲさんも命を狙われ、一時避難したことがあるが、今は病院の敷地に住まい

を移し、命をかけた活動を続けている。

 

 この映画の監督は、立山芽衣子さん、日本の女性監督だということもお知らせした

い。

 

荒野に希望の灯をともす

 うっかりしていた。

 土曜日から横浜の名画座で中村 哲さんの映画が始まっていることを忘れていたこと

に今朝気づいた。

 

 時間は、午後1時35分から。台風が去ってもまだ熱風が吹いている。始まったばか

りなのできっと混んでいるに違いないと思ったが、ひどい暑さなのでそれが災いしてか

えって混まないかもしれないと思って出かけた。

 

 ところが支配人が入口に立っている。ああ、いっぱいなのかなと思ったところやっぱ

り補助席も含め今日は、すでに満席だとのこと。がっがりだ。

 自分の予想が甘かったとは言え、この映画にこんなに人が集まってくれることは嬉し

い。

 仕方なく、チケット売り場で明日の予約をして帰ってきた。当分混雑が予想される。

 

 この映画は、「荒野に希望の灯をともす」というタイトルのドキュメンタリーだ。

 私はテレビを見ていないので、これまでも何回か断片的な映像が流されてきているそ

うだが、20年以上にわたり撮りためた映像素材から医師 中村哲の生き方を辿る劇場

用に仕上げたものということだ。

 

 予告の断片的な映像の中にも、哲さんが現地のアフガニスタンの人たちと用水路を掘

っているときに上空をアメリカ軍の軍用ヘリコプターが飛んでいる映像が見られる。

 どちらが現地の人の生活を豊かにし信頼を勝ち得るのか、それだけでもわかる。

 

 安部元首相と同じ凶弾に倒れ亡くなった中村哲さんこそ、誇りをもって弔える人では

ないか。権力を誇示するための「国葬」が決定されてしまったが、庶民はちゃんと知っ

ている。中村哲さんを弔うためなら権力など振りかざし号令を出さずとも心からその

死を悼むだろう。

 

 この映画、東京ではポレポレ東中野、そのほか順次全国で上映が決定されている。

 皆さんもぜひ脚を運んでもらえると嬉しい。

 

 

再び北海道浜中へ6 琵琶瀬展望台から仲の浜木道編

 いよいよこの旅のブログも最終回。

 旅の計画、旅の最中、そして旅の記録と この3つを経ないと自分の旅は終らない。

 

 4日目の天気は、曇り。

 この日は、いつもの停留所から10時半の厚岸の子野日公園まで行く町内バスに乗

り、琵琶瀬展望台まで一気に運んでもらった。本当は、子野日公園まで行って戻ってき

たいところだが、戻るバスは当分ない。

 一日にゆうゆを利用する人向けに3本だけ通しているバスだからだ。

琵琶瀬展望台から湿原を望む

 

 ここは、浜中の観光の目玉的な展望台。去年もどんより曇り空、今年も同じ。  

 太陽の光を浴びたとたん蛇行する琵琶瀬川は、鮮やかによみがえるのに、とても残

念な気持ち。ただ去年に比べ強風に煽られないだけ幸せ。

 去年は、宿でカヌーを用意してくれたので、MGロードの乗り口からカヌーで1時間

ほど琵琶瀬川の川散歩ができたことを思い出す。

西の厚岸方面の眺望

  ハマナスのチェリーピンクがどよーんとした気持ちを持ち上げてくれる。

  戻るバスはないので、坂道を下りとりあえず琵琶瀬野鳥公園まで歩く。

  

 左の海の方から霧が流れてくるのが見える。こうやって冷たい霧は音もなくスー

ッとやってきて湿原に海のミネラル分を運んでいるんだなと証拠写真を撮ったような気

持だった。野鳥公園にはタンチョウの姿は見えなかった。

お腹もすいてきたので、琵琶瀬木道目指してもうひと頑張り。

 湿原センターでは、クラムチャウダーを食べたので、ヤチボウズカフェでは、ホッキ

カレーにした。

 琵琶瀬木道を歩いてみる。

 クシロハナシノブ

 まだ残っていたこの花、道東を代表する花らしい。薄紫の優しい感じが男性にも好ま

れるようで、宿主一押しの花。

センダイハギ               ノハナショウブ
 

花の湿原と言われるだけあって、次から次へと花が咲く楽しい湿原だ。

 琵琶瀬木道から仲の浜木道へ入っていくと、今年はとりわけエゾカンゾウが見事で湿

原をオレンジ色に染め上げていた。去年に比べ 花の数が圧倒的に多い。 

 往きのバスの車窓から見たときは、オレンジ色の帯があまりに強烈でびっくりした。

 残念ながらワタスゲは白いボンボンの数が少ない。ワタスゲの旬はもう過ぎたのかも

しれないが、なんだか今年は少なくてニュースに上ってこなかったのではないだろう

か。植物にも当たり年というのがあるのかもしれない。

 

 仲の浜のバス停に14時前にバスがやってくる予定だったので、ゆうゆまでバスで向

かった。時間が早かったので、初めて「ゆうゆ」の温泉に浸って疲れを取る。ゆっくり

入ってから宿へ戻る。

 

最後の夕飯

 なんと「キチジ」の焼き物が出た。こちらでは「キンキ」と呼んでいるが、道東では

「メンメ」と呼ぶらしい。自分ではなかなか手に取れない高級魚だ。身を口に入れると

とろけそうな脂ののりだ。

 そして最後もたくさんのお刺身。私は、3回夕飯を食べるが、1泊の人もいるので、必ず海鮮丼のお寿司か、刺身の盛り合わせが付く。今回のには、イワシが入っていた。

 銚子辺りでは「入梅いわし」と言われ、6,7月はイワシ祭りが開かれているくらい

イワシは、脂がのっていておいしいのである。

 

 7月2日一番列車で浜中を出発。毎日送り迎えをしてもらって、宿主には大変お世話

になり、この日も早朝駅まで送ってもらった。

 

 ところがところがである。往きは何事もなく順調だったのに、次の茶内駅を出てしば

らくすると、電車は停車。何事かと思ったら、次の厚岸駅の先で工事が終わっておらず

 このまま列車では釧路へ行けないという。

 私は釧路発の「おおぞら4号」に乗らないとそのあとの接続がうまくいかず今日中に

帰れない可能性もあるので、少々焦った。

 

 運転手は、17名(土曜日で学生がいなかった)の乗客の行先を調べ、厚岸の駅員とさ

んざん連絡を取りあい、ようやく方針が決まったようで再出発。

 結局厚岸駅で全員下りて、この列車の前に厚岸駅始発の列車に乗ることになっていた

乗客と一緒にJRがチャーターしたバスに乗り、釧路まで行くという手はずになった。

 

 釧路で30分くらい乗り継ぎの時間の余裕はあったのだが、一般道を走るバスなので鉄

道と同じような時間で着くはずもない。どうなるのかわからなかったが おおぞら4号

は駅に留め置かれていた。予定時刻より10分遅れたが、無事乗ることができた。

 

 新幹線だと乗り場が上にあるので改札を通って必ず階段を上って)行かないとホーム

に到着しないが、釧路駅は在来線なので改札を通らず、ホームの裏手の植え込みの間か

らホームに入り、列車に乗ることができた。こういう時にすごく便利だ。

 白い夏服で身を包む駅員さんが

「走らなくても間に合いますから、自動販売機で飲み物を買ってから乗ってください。」

 と、声をかけてくれた。

 列車内では3時間半飲み物が買えないからである。

   

 これで一件落着だったが、毎回いろんなことがあるのでドキドキ、わくわくの北海道

列車旅だ。

 

北海道の旅のブログこれではおしまいです。

読んでくださった方ありがとうございました。

再び北海道浜中へ6 琵琶瀬展望台から仲の浜木道編

 いよいよこの旅のブログも最終回。

 旅の計画、旅の最中、そして旅の記録と この3つを経ないと自分の旅は終らない。

 

 4日目の天気は、曇り。

 この日は、いつもの停留所から10時半の厚岸の子野日公園まで行く町内バスに乗

り、琵琶瀬展望台まで一気に運んでもらった。本当は、子野日公園まで行って戻ってき

たいところだが、戻るバスは当分ない。

 一日にゆうゆを利用する人向けに3本だけ通しているバスだからだ。

琵琶瀬展望台から湿原を望む

 

 ここは、浜中の観光の目玉的な展望台。去年もどんより曇り空、今年も同じ。  

 太陽の光を浴びたとたん蛇行する琵琶瀬川は、鮮やかによみがえるのに、とても残

念な気持ち。ただ去年に比べ強風に煽られないだけ幸せ。

 去年は、宿でカヌーを用意してくれたので、MGロードの乗り口からカヌーで1時間

ほど琵琶瀬川の川散歩ができたことを思い出す。

西の厚岸方面の眺望

  ハマナスのチェリーピンクがどよーんとした気持ちを持ち上げてくれる。

  戻るバスはないので、坂道を下りとりあえず琵琶瀬野鳥公園まで歩く。

  

 左の海の方から霧が流れてくるのが見える。こうやって冷たい霧は音もなくスー

ッとやってきて湿原に海のミネラル分を運んでいるんだなと証拠写真を撮ったような気

持だった。野鳥公園にはタンチョウの姿は見えなかった。

お腹もすいてきたので、琵琶瀬木道目指してもうひと頑張り。

 

再び北海道浜中へ5 霧多布散策編

 今でこそ山の方では酪農も大きな産業になっているが、この霧多布は、霧多布港があ

るので昔から浜中の水産業の中心であるし、また、町役場、病院、文化センター、交

番、郵便局や銀行など主な公共機関があるので文字通り浜中町の中心となっている。

 

 岬から3キロ歩いて戻り、いつもはバスで通るだけだった町の様子を歩いて見てみよ

うと思い、坂道を下りて町の中心の通りへやってきた。

 

握り寿司

 毎日宿でおいしい生ものを食べているのに、今さら寿司でもないかなと思ったが、午

後2時前のウイークデーなので、やっていない店もあってここに決めた。

 

 握りというのは、やはりその握り方でうまさが決まる。きっちりと握られていて

寿司種も新鮮だしおいしくいただけた。白身の魚が何なのか聞いたところ宿でも食べた

オヒョウだとのこと。やっぱりここは、北海道だなと思った。一応上寿司なのでイクラ

もしっかりのっていた。

 

 お腹も満たされたので、町の中を歩いてみることにする。

 昨年も書いたが、この浜中町は、ルパン三世の作者「モンキーパンチ氏」の出身地

だ。この路地は、ルパン三世通り。この路地の両側にルパンに出てくる登場人物の名前

を冠した店が数件並ぶ。

 この店は、「PUB FUJIKO」。その隣に「JIGENNS BAR」というような感じで並ん 

でいる。お酒を飲む店なので、この時間は当然閉まっている。

 昼日中、こんなところに用がある人もいるはずもなく、閑散としているのならいい

が、なんだか心配である。

 

 町内バスの運転手さんから聞いた話。

 この運転手さんは、以前はこの町で喫茶店をやっていたそうだ。

 漁港も栄えていて、出船の時間待ちの漁師たちで喫茶店はずいぶん繁盛したのだと言

う。 漁師が主なお客だったので夜中までの長時間の仕事で、しかも一人で切り盛りし

ていたので体が続かなくてやめ、今はバスの運転手をやっているのだそうだ。

 出港前は、アルコールを飲むわけにもいかないので、長時間いられる喫茶店は都合が

よかったらしい。

 

 そんな話を耳にしていたので、ただでさえ、コロナ禍で観光客は来ないし、漁獲量が

減っている港町の飲食店が順調にやっていけているのかどうか心配になったのだ。

港と住宅街との間の防潮堤

 初めて町を実際歩いてみて、港と町の間にこんな開閉式の防

潮堤があることを知った。向こう側が町の中心部。

 2011年の東日本大震災時の2,6mの津波で霧多布も被害にあった。港の漁協の

施設には甚大な被害があったそうだが、住宅地との間に4,3mの堤防があったおかげ

で人的被害はなかったそうだ 。

 それでも、将来予想される千島海溝巨大地震に備え、今回は5.5mにかさ上げした

防潮堤が新設された。町の周囲3kmにわたりこの防潮堤が張り巡らされているそう

だ。

港の外側の防潮堤

 

 次に、「モンキーパンチ」氏の作品が展示してある「総合文化センタ」ーを訪ねた。 

浜中総合文化センター

右の階段を上った2階の会場が展示室

ここには彼の仕事場を再現した部屋、原画のコピー、彼が使った道具などが展示してある。

出口で写真を撮ってもいいのかと聞いたらどうぞとのこと、
そこで撮ったのが仕事場の机とルパンの立体像。

 私は、ルパン三世の漫画のファンではないが、漫画本やテレビのアニメを見ると

はなしに見ていたので、とても懐かしい気がした。一世を風靡した漫画なので、キャラ

クターについてはよく知られているのではないだろうか。

 モンキーパンチ氏は、出身地の浜中をとても愛していたようで、町おこしのために看

板を作ったり、ワークショップを開いたりしていたそうだ。2019年に亡くなられ

た。

町役場のトイレ

町役場の車

 

 この日の宿での夕食

花咲ガニ

 

 これは、鳥の保護活動をしておられる知り合いの方のお土産だったのだが、去年に続

いてこの時期に花咲ガニを食べられることとなった。

 宿主がいうことにゃ、小さめのカニがおいしいのだということ、そしてお腹が丸い形

のメスを選ぶのが正解だそうだ。脚を手でちぎり、中の汁をこぼさないように口元にも

ってきて吸うように食べるのがおいしく食べるコツだとのこと。

 この花咲ガニは、脚の数が2本少ない。なんとヤドカリの仲間だそうだ。(退化した

短かいのが一番前についていた。)

 

 

アンコウ汁

 おいしいものは、見栄えがいいものとは限らない。アンコウの肝が溶けた味噌汁は、

コクがあってカニよりもずっとおいしかった。

 そのほかにも、刺身や、クジラと玉ねぎの和え物、ホッキとキムチの和え物、白身魚

きゅうりの和え物とおいしいものがどっさりでカニは半分しか食べられなかった。

 

 (つづく)