翌日19日の朝、五時過ぎには目が覚めたので、カーテンを開けるとちょうど水平線から朝日が昇ってくるところでした。
ホテル碁石 から
ここから80kmくらい離れた宮古市は、日本列島の最東端ですので、19日は、日本でいち早く朝日を見たうちの一人になるのかもしれません。
水平線の上にたなびく雲のようなものから抜け出た太陽は一段と輝きを増して辺りを茜色に染めています。
細浦の港
この写真は、BRTの停留所がある細浦の港です。
ウミネコやカモメなど海鳥たちもお休みしていましたが、本当に浦々とした波静かな漁港で、いつまでもそこに座っていたい気がしました。
細浦の駅は、この海のすぐそばにあったので、津波で押し流され、駅舎は跡形もなくなったそうです。
泊まったホテルから海の方へ降りていくと碁石海岸といわれる景勝地があります。
今回は残念ながら行く時間がなく訪ねることはできませんでしたが再訪の折には、ぜひ訪れたいところです。
BRTに乗って、昨日通った大船渡の先にある「盛(さかり)」という駅まで行きました。
盛駅
ここは、その「盛」(さかり)駅です。
バスが停まっているところは、元は線路があったところです。
駅のホームを結ぶ渡り階段が、かつての駅のようすを物語っています。
JR大船渡線というのは、一ノ関を出発して気仙沼、陸前高田、大船渡を経由して、この盛が終点の路線でしたが、流された線路や駅舎を復旧するのでなく、ずっとこのBRTを使うことに決めたようです。
ただ、今のように一般道を走っていたのでは、信号もあり、渋滞に巻き込まれることもありで、高速バスにならなくなってしまいます。
それで今までの線路を取り払い、このバス専用道路に作り直したようです。
今月28日から、まだ一部区間だけのようですが、バス専用道路を走ることになる予定だそうです。
19日は、NHKのカメラが来てバスを映し、駅の待合室では、担当者がプレス発表をしていました。
さて、この先路線バスを乗り継ぎ乗り継ぎ行くのは、かなり時間のロスを生じるので、この盛からレンタカーを借りて宮古市まで行くことにしました。
運転は、私より上手な友だちにお任せ。
一般道の45号線にナビをセットしましたが、三陸自動車道路もこの区間は無料で通ることができます。所々一般道から自動車道へ入ったり出たりするところがありました。
登っては、下り、その度に津波で押し流された集落のある浜を通り、また山間に入り・・・の繰り返しです。
どの集落にも防潮堤と河口には水門が作られている独特の景観を持っています。それなくしてはこの三陸の地では安全が確保できないということなのでしょう。
この日、釜石の先にある大槌町の屋台村でお昼を食べることにしました。
「きらり福幸商店街」です。
飲食店を始め40店舗が集まっています。
この商店街の「鮨辰」でお鮨を食べました。地の魚を期待していましたが、今はちょうど季節の狭間で美味しい魚が少ないということですごく残念でした。
握ってくれたお兄さんが、大槌町の震災の話をしてくれました。
近年地震が起きてもせいぜい50cm潮位が上がるくらいで、津波が来ないことが続いていたため、「また,平気だよ。」という感じだったので、わざわざ海へ様子を見に行った人が結構いたという話です。 そのため津波に呑まれて亡くなった人がいたのだそうです。
歴史的に何回も津波に襲われているはずの三陸でもこうですから、慣れというのは怖いです。
お兄さんは、まだ30代前半の若者ですが、亡くなったお父さんのお鮨をすごく尊敬しているようでした。
お母さんと仮説住宅に住み、このプレハブの店でしばらくは頑張りたいが、はやく自分のお店を持ちたいと話していました。こういう若者が前向きに地元で頑張れるよう応援したいです。
大槌町は、人口約13000人。震災での人的被害は1284人。陸前高田に次いで大きな被害があったところです。
ここもご多分にもれず、土地の利用について全体像が出来上がっているのかいないのか、景観だけ見ていたのでは復興が進んでいるとは思えませんでした。
(続く)