札の辻から 蔵造り通りを見た写真です。
お気づきになったかと思いますが、
この通りには、電柱が立っておりません。
電柱がないと、景観が確かにすっきりと見えます。
川越では、明治26年の大火の際、焼け残った蔵造りの家があったことから
蔵造りが奨励されてきたという経過があるようです。
川越では、江戸へ物資を船で運んで儲けた豪商がいたと聞いていたので、
蔵造りの家は、もっと歴史が古いのかと思っていましたが、
比較的新しいものだとわかりました。
本当に古くからの蔵造りの家は、30数件のみ。
したがって、後から造った家も、木造、瓦葺、
色や形、それに屋根の高さなどもそろえ、
昔の蔵造り風の建物にして、
統一感を醸し出すようにしていることが見て取れました。
今でこそ、市は積極的に古くからの文化財を保存しようとしていますが、
1972年、「万文」という煙草卸問屋が
売却・取り壊しになるという前までは何もせず、
その話を聞きつけた市民運動から
この蔵造りの街並みを保存する機運が高まったようです。
川越と言えば、「時の鐘」。
大通りからちょっと入った横道にあり、
まわりの家が2階建てですから、それからすると
3階建てから4階建ての高さがあります。
鐘は、6時、12時、15時、18時と一日に4回なるそうです。
階段は、ありますが、ふたがしてあって上がれないようになっているので
普段は自動的になるようになっているのでしょう。
残念ながら、聞くことはできませんでした。
この蔵造り街並みとは、ちょっと異質ですが、
不思議と違和感がありません。
これは、1918年に建てられた旧八十五銀行の建物です。
緑色の丸屋根、サラセン風の縞模様の装飾など、
どこか横浜税関を彷彿とさせます。
今は、埼玉りそな銀行となっています。
大通りでは、この3軒並びが一番目立ちました。
何層にもなった屋根、観音開きの扉もまたしかりです。
いかにもお金がかかってそうな造りです。
これもみな火事から家を守るためだったようです。
2階の右の家と真ん中の家の間にあるのは、
類焼を防ぐための「うだつ」だと思っていましたが、
川越の蔵造りのページを調べてみたら「袖壁」と呼ばれるものだそうです。
「うだつ」は、うだつが上がるとか、上がらないとか
今では、人の評価に使われる言葉となっていますが、
「うだつ」を取り付けるには、
余計にかなりの出費が必要となるため
それにお金を費やせるかどうかというところから
この言葉が生まれたようです。
今では、この「うだつ」は、
古い家を大切に保存しているところでしか見られなくなりました。
鬼瓦です。
本来は、厄除けのため鬼の顔が描かれているので、
鬼瓦と呼ばれているのでしょうが、
ここでは、鬼ではなく、何がデザインされているのか
いくつか見ていきたいと思います。
はじめは何が描かれているのかと思っていましたが、
水を表わした渦巻きか、波頭のようなものを象っているのだと気づきました。
川越では、何回も火事があって、火事から財産や身を守るという願いが
強かったのかもしれません。
漫然と厄除けというのではなく、具体的に火が脅威だったのでしょう。
鬼瓦には、その時代の人の願いとか祈りとかが表わされているんだなと
改めて考えさせられました。
これは、鬼瓦ではありませんが
1階の屋根瓦の上に飾られていた大黒様です。
袋の口の部分にこの家の瓦屋根の印と同じマークがついています。
ちゃんと特注の大黒様なんですね。
商売繁盛の招き猫ならぬ、福呼び大黒です。
見ていると、袋の口の隙間に吸いこまれそうな気がしました。
おっと、危ない危ない!
今回の川越はこれで終わりです。
蔵造りについては、もっと知りたいので、
また再訪したいと思っています。