気仙沼その3 大島編 

二日目の天気もまあまあ。

朝7時15分フロント集合で周辺の朝の散歩に参加しました。

休暇村から階段を下って田中浜という浜辺へ降りていきます。

 風もなく穏やかな浜辺です。私はテレビを見ないのでわかりませんが、一昨年NHK

朝ドラ「おかえりモネ」のあるシーンで使われた浜だそうです。

 

 

 浜辺の草や貝殻を見るのは、久しぶりです。ハマヒルガオコウボウムギはわかって

も、ホタテの貝殻の前にある丸い巻貝は、聞いたのに記憶が飛んでます。

 この浜にも津波は例外なく襲ったそうです。

 

 ここから先は、あとで調べて分かったことですが、当初11,8mのがっちりとした防

潮堤を造ることが計画されていたのに、住民たちの意見が取り入れられ、防潮堤は現状

回復となり、堤防の後方の斜面に防災林を作るということになったのだそうです。

 三陸をめぐると分かりますが、とにかく高い防潮堤を築くことが津波の災害を逃れる

基本なので、こういう変更は大変珍しいと思いました。

 

 この日は、田中浜から南下して龍舞崎まで歩いて、戻ってくるルートをハイキングす

ることにしました。

 地図に「みちびき地蔵」と書いてあった所がありました。ちょうど田中浜の裏手の道

を右に曲がった所です。

「みちびき地蔵」は、死者を極楽浄土へ導いていくという伝承や大津波の襲来を地蔵

様が母子に知らせたという民話も伝えられています。

 伝えられている話では、ある日、大勢の人の魂が地蔵様に連なっていくのを見た母子

が、その不思議な光景に驚く。翌日引き潮の浜で人々が魚や貝、海藻を取っていたが、

いつになっても潮が満ちてこない。と思っていたら、突然大きな津波が押し寄せて来て

前日地蔵様に連なっていった魂、61名の人が亡くなった。魂が連なっていくのを

見た母子は、何か不安を感じていたのだろう。急いで高台に逃げて津波の被害にあわな

いで命が助かったという。

 

 大島の人たちは、みちびき地蔵のことを代々伝えて、地蔵様を大事にしてきたそうで

す。今回の震災では、亡くなった人はいなかったようですが、やはり津波でお社も地蔵

さまも流されてしまいました。

 震災後全国から支援の手が差し伸べられ、ある画家さんが自らこの民話を基にした絵

本を作りみちびき地蔵のことを知らせ、その本の売り上げをお社や地蔵様の再建に役立

てたという話も聞きました。

 

 そんな言い伝えがあることも知らず、お地蔵様をお参りした私たちでしたが、ご近所

の方だと思われる男性が、私たちに「お参りありがとうございます。」と話しかけられ

ました。

 「自分のうちは、この一番高いところにあるので津波には浸からなかったけれど、一

段低いところに立つうちは半分まで上がってきたんです。」

 「差し上げたいものがあるので、ちょっとここで待っていてくれませんか。」とおっ

しゃるので、待っていたところ、

 「冬だったら、うちで作っているゆずを差し上げるのだけれど、今はないので。」

と、ポットに植えた苗を一つずつ取るように勧めてくれました。

 

 たぶん、私たちが車で来ているのだと思ったのでしょう。土ものだし、これからの道

中、荷物になるなと思いつつも、見ず知らずの旅行者なのに親切にして下さるご好意を

無にしてはいけないと思って有難くいただいていくことにしました。

 

 その方が、地蔵様の管理をされている方なのか、詳しいことは聞きませんでしたが、

このお地蔵さまが、地域の方々から熱い信仰を集めているのだということがじんわ

り伝わって来て温かい気持ちになりました。

 いただいた苗は、「金の生る木」です。今、ベランダで元気にしています。大事にし

ようと思います。

 

 (続きます)